東京地方裁判所 昭和62年(ワ)1877号 判決 1993年3月22日
原告
後藤隆介
同
後藤眞希子
同
後藤真佑
右法定代理人親権者
後藤隆介
同
後藤眞希子
右原告ら訴訟代理人弁護士
西田公一
右訴訟復代理人弁護士
藤勝辰博
被告
日本赤十字社
右代表者社長
林敬三
右訴訟代理人弁護士
饗庭忠男
同
平沼高明
同
堀井敬一
同
西内岳
同
木ノ元直樹
主文
一 被告は、原告後藤真佑に対し、金五九九八万三〇一七円及びこれに対する昭和六二年二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は、原告後藤隆介及び同後藤眞希子に対し、それぞれ金三〇〇万円及びこれに対する昭和六二年二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。
五 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告後藤真佑に対し、金一億三〇五五万七七三一円、原告後藤隆介及び同後藤眞希子に対し、それぞれ金五〇〇万円、及びこれらに対しいずれも昭和六二年二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告後藤眞希子(以下「原告眞希子」という。)と原告後藤隆介(以下「隆介」という。)は夫婦であり、原告後藤真佑(以下「原告真佑」という。)は、原告眞希子と原告隆介との間に、昭和五七年八月二一日に出生した男子である。
(二) 被告は、日本赤十字社法に基づいて設立された医療法人である。
2 本件事故の発生
(一) 原告眞希子は、昭和五六年一一月ころ妊娠し、昭和五七年二月二五日から被告の開設する医療センター(以下「被告医療センター」という。)において継続的に診察を受けていたが、予定日であった同年八月二〇日、予め被告から投薬を受けていたカスタロール三グラムを服用したところ、激しい下痢を起こし、同日午後七時一〇分ころ、被告医療センターに入院した。
(二) 原告眞希子は、同センターにおいて、同月二一日午前四時ころ、原告真佑を出産したが、同原告は、全身チアノーゼ、無呼吸などを伴った、低酸素性虚血性脳症の症状を呈する重篤な仮死状態(新生児仮死)で出生した。右新生児仮死は、分娩中に生じた常位胎盤早期剥離による胎児仮死によって生じたものである。
原告真佑は、未熟児集中治療室に移されて治療を受けたが治癒せず、重度の脳性麻痺の障害を残した。
3 被告の責任原因
(一) 不法行為責任
(1) 胎児の中枢神経系は母体の低酸素症などの子宮内環境の悪化に弱く、一旦ダメージを受けると生涯脳性麻痺などの障害を残すことになるので、分娩の介助を行う医師及び助産婦は、胎児の発育状況、胎位、子宮口の状況、胎児先進部の下降度、心拍数などの監視による低酸素状態発現の有無その他安全な分娩に関連する諸要件を正確に把握し、陣痛の調節その他母体の状況推移、分娩の経緯、胎児の状態などの常時継続的な監視、管理を行い、いやしくも胎児、胎盤系への呼吸、循環不全による胎児への酸素供給の低下、欠乏により胎児の低酸素症を惹起し、死産、新生児死亡、低酸素性脳症等の重大な結果をもたらさないよう、適切な予防および治療を行い、万全の注意を払うべきである。
(2) 本件事故当日、原告眞希子の分娩担当医であった加口医師及び仲尾知子助産婦(以下「仲尾助産婦」という。)は、原告眞希子の分娩に際して、同月二一日午前三時一七分ころから同四四分までの間断続的に胎児心拍数が低下し、胎児仮死が強く示唆されたにもかかわらず、正確な診断の確定をし、低酸素状態の改善を目的とした治療ないしは鉗子、吸引分娩、帝王切開等の急速分娩など、仮死状態を解消、軽減する適切な対応をとるべき注意義務を怠り、加口医師においては原告眞希子の分娩に立ち会わず、仲尾助産婦においても何ら有効な措置を講じないまま漫然と原告眞希子の分娩に立ち会ったため、原告真佑は仮死状態を解消されないまま、前記のとおり重篤な新生児仮死の状態で出生した。
(3) 加口医師及び仲尾助産婦は、いずれも被告に雇用されて被告医療センターに勤務する者であるから、被告は、民法七一五条に基づき、両名の前記不法行為について、使用者として、原告らの被った後記損害を賠償する義務を負う。
(二) 債務不履行責任
(1) 原告隆介と同眞希子は、昭和五七年八月二〇日、被告との間において、原告眞希子が同真佑を出産するに際し、当時の医学水準において実験上必要とされる最善の注意をもって適切な診療を行う旨の診療契約を締結した。右契約は、原告真佑を受益者とする第三者のためにする契約であり、同原告は出産とともに両親である原告隆介及び同眞希子に代理され、診療を受けることにより受益の意思表示をした。
(2) しかるに、被告は、右契約上の債務に反し、前記(一)(2)記載のとおりその雇用する医師及び助産婦の過失により、原告に後記損害を与えたのであるから、その損害を賠償する義務を負う。
4 損害
(一) 原告真佑
原告真佑は、脳性麻痺により精神に著しい障害を残し、常時介護を要する状況にあって、回癒の見通しはない。
(1) 逸失利益
原告真佑の出生時の平均余命は74.54歳であり、同原告の労働能力喪失率は一〇〇パーセントであるので、就労開始年齢を一八歳、就労可能年齢を六七歳とし、昭和五九年賃金センサスに基づき新ホフマン係数により計算した逸失利益は、六六九三万七七九五円となる。
(2) 介護料
原告真佑の介護料は、一日当たり四〇〇〇円を下回ることはないから、新ホフマン係数により原価を計算すると四四六一万九九三六円となる。
(3) 慰謝料
一九〇〇万円が相当である。
(二) 原告隆介及び同眞希子
原告真佑が重篤な後遺症をもって出生したことによる原告隆介及び同眞希子の慰謝料は、それぞれ五〇〇万円が相当である。
5 よって、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求として、被告に対し、原告真佑は金一億三〇五五万七七三一円、原告隆介及び同眞希子は各金五〇〇万円及びこれらに対するいずれも不法行為の日の後であり、訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月二五日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 1は認める。
2 2(一)は認める。同(二)のうち、原告眞希子が被告医療センターにおいて、昭和五七年八月二一日午前四時ころ原告真佑を出産したこと、同原告が無呼吸を伴った仮死状態で出生したことは認め、同原告が現在脳性麻痺の障害を負っていることは知らない。その余は否認する。
3 3について
(一) (一)のうち、(1)は一般論としては認める。(2)のうち、昭和五七年八月二一日午前三時二六分に胎児心拍数が低下したこと、原告真佑が無呼吸を伴った仮死状態で出生したことは認めるが、その余は否認する。(3)のうち、加口医師及び仲尾助産婦がいずれも被告に雇用されて被告医療センターに勤務する者であることは認めるが、その余は否認する。
(二) (二)のうち、(1)は認めるが、(2)は争う。
4 4について
(一) (一)のうち、原告真佑の症状については不知。その余は争う。
(二) (二)は争う。
三 被告の主張
1 原告真佑の脳性麻痺の原因について
現在では、脳性麻痺の原因が分娩時(周生期)の脳損傷によるものであるとの考えは否定されており、その大部分は胎児自体の先天的な要因によるものと考えられている。特に、筋弛緩型の脳性麻痺においては、九一パーセントが妊娠中の原因に基づくものであるとされている。本件においても、分娩経過に何らの異常が認められなかったこと、筋弛緩型の病像が認められること、満期産であるにもかかわらず体重が二五六〇グラムと少なかったことから考えて、原告真佑の脳性麻痺の原因は、分娩時の低酸素症による胎児仮死あるいは新生児仮死ではなく、胎児の内在的要因によるものと考えるべきである。
2 加口医師及び仲尾助産婦の過失について
仲尾助産婦は児頭が娩出する直前まで陣痛にあわせて胎児心拍数を聞いていたが、原告眞希子の分娩経過は順調で、胎児仮死を示唆する所見は全く見られなかった。また、午前三時二六分ころ胎児心拍数が低下しているが、即時に酸素を投与することによって回復しており、その後三時三五分、四〇分、四四分にも胎児心拍数の低下が見られたがこれは分娩直前のことで何ら異常というべきものではなく、かつそれぞれ二〇秒程度で回復しており、これらが胎児仮死を示唆する所見であるとはいえない。したがって、仲尾助産婦は原告真佑の胎児仮死又は新生児仮死を予見することは不可能であった。なお、加口医師は、同時刻に隣室において吸引分娩、骨盤位分娩が重なり、それらに立ち会う緊急性があったため、正常な分娩経過を辿っていた原告眞希子の分娩に立ち会えなかったものであり、問題はない。
また、仮に胎児仮死の存在が予見可能であったとしても、その時点で鉗子、吸引分娩、帝王切開等をすることはその準備に時間がかかって不可能であり、その場合に取るべき処置としては一刻も早く胎児を娩出すること以外にはなかった。本件においては、胎児の娩出は極めて順調、迅速になされたものであり、これに医師が立ち会っていたとしても同様であった。したがって、仮に予見可能性があったとしても、結果を回避することは不可能であった。
四 被告の主張に対する原告の認否
1 1は否認する。本件において、原告真佑の脳性麻痺が妊娠中の内在的原因によるものであることを推測させる事情は全く存在しない。
2 2は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一1 事実欄に摘示した当事者間に争いがない事実及び証拠(<書証番号略>、証人仲尾知子、原告隆介本人)並びに弁論の全趣旨によれば、本件分娩経過及びその後の原告真佑の症状は、次のようなものであったと認めることができる。
(一) 原告眞希子は、昭和五六年一一月ころ妊娠し、同五七年一月二七日、安田産婦人科において妊娠と診断されたが、被告医療センターにおける出産を希望して同年二月二五日に被告医療センターの診察を受け、以後毎月被告医療センターにおいて診察を受けていた。この間経過は順調であり、母体、胎児ともに何ら異常は認められなかった。
原告眞希子は、出産予定日であった同年八月二〇日午後七時一〇分ころ、出産のため被告医療センターに入院した。
(二) 被告医療センターでは、同日午後八時四〇分から同九時二〇分までの間、分娩監視装置を装着して原告眞希子の状態を観察したところ、全く異常は認められなかった。翌二一日午前二時ころになり努責感があらわれ、分娩が近づいたと判断されたため、原告眞希子は、同日午前二時四〇分に分娩室に入室し、再び分娩監視装置が装着された。
原告眞希子の分娩に立ち会っていた助産婦は、分娩監視装置の心拍同期音を聴くことにより胎児心拍数を測定していたが、同日午前三時二六分ころの測定で、胎児心拍数がそれまでの一分間一四四の正常値(午前三時一七分の測定)から一分間九六に低下したため、原告眞希子に対し三リットルの酸素吸入を実施した。その結果、心拍数は二分後には回復(一分間一三二)した。その後、同日午前三時三五分、四〇分、四四分の各測定の際にも一分間一〇八の軽度の徐脈がみられたが、それぞれ早期に回復した。
同日午前三時四五分に人工破膜が行われ(誰によって行われたかは不明である。)、同三時四八分に排臨となった。その後仲尾助産婦が単独で原告眞希子の分娩介助に当たり、同四時に原告真佑が自然分娩により出生した。娩出時の原告真佑の胎向は第二後頭位で、正常な分娩であったが、娩出時同原告の頸部には臍帯の巻絡(一回)が見られた。原告真佑は、出生一分後のアプガールスコア(心拍、呼吸運動、筋緊張、反射性興奮、皮膚色の各項目について新生児の状態を観察し、一〇点満点で採点する方法により、仮死の程度を判定するテスト)が一点の重度の仮死状態であった(なお、五分後のアプガールスコアの点数は二点であった。)。原告真佑が娩出した約一分ほど後に後産があったが、胎盤の一部に凝血の付着が見られたほか、羊水が血性であった。
なお、当日の当直医で、原告眞希子の分娩担当医であった加口医師は、一度原告眞希子の様子を見に来たものの、隣室の異常分娩の介助に立ち会っていたため、原告眞希子の分娩に立ち会うことはできなかった。
(三) 仲尾助産婦は、原告真佑のアプガールスコアを測定し、胎盤の娩出を確認した後、原告真佑を被告医療センターの未熟児集中治療室へ運び、同原告は、同日午前四時六分に同室に入院した。この時点での原告真佑の状態は、全身がチアノーゼを呈し蒼白で、脈はかすかに一分間六〇を数える程度で殆ど聴取不可能であり、筋は弛緩して体動もなく、刺激に対する反応もなく、重度の仮死状態(二度)であった。同日午前四時一〇分に気管内挿管による蘇生術が開始され、その結果、三分後には心拍数が一分間あたり一〇〇を超えたが、三〇分後には痙攣が出現し、常位胎盤早期剥離を原因とする胎児仮死に基づく低酸素性虚血性脳症と診断された。生後三三時間後には自発呼吸が安定して抜管が可能となったが、その後もモロー反射は弱く、呼啜不良、不活発な状態が続き、同月二五日ころの検査では脳波異常が観測され、同年九月六日に撮影されたCT検査によれば、脳室周囲の脳実質に低吸収域像が認められた。
(四) 原告真佑は、呼啜が安定した同年九月二九日に退院し、その後比較的症状は安定していたものの、脳波異常は改善せず、運動発達遅滞が顕著に見られた。昭和六一年二月二三日には痙攣の重積発作が発生して被告医療センターに再入院し、テンション・アテトーゼ型の脳性麻痺と診断された。その後渡米して治療を受けているが、現在も重度運動神経機能発育遅延、不随意運動性脳性小児麻痺及び痙攣症により治療を継続中であり、痙攣性四肢麻痺により支えなしには座ることができず、言語能力もなく、食事、用便も独力ではできない状態である。
2 また、証拠(<書証番号略>、鑑定、証人中嶋健之、同島田信宏)によれば、次の事実が認められる。
(一) 胎児仮死とは、胎児が酸素不足に陥ることによって生じる呼吸、循環不全を主徴とする症候群をいう。これが新生児に見られた場合に新生児仮死というが、新生児仮死と胎児仮死は連続した症候群であるとする考えが現在有力である。胎児仮死は、放置しておくと非可逆性の脳障害をもたらすため、これが存在する場合には、直ちに胎児の酸素不足を解消する措置として、母体に対する酸素供与、母体の体位変換、子宮収縮剤の投与の中止あるいは子宮収縮抑制剤の投与等の処置を施し、これらの処置によっても酸素不足が改善しない場合には、吸引分娩、鉗子分娩、帝王切開等の急速遂娩術により、胎児を速やかに娩出させて蘇生させる必要がある。
胎児仮死の存在は胎児心拍数の徐脈又は極端な頻脈、基線細変動の消失等、胎児心拍数の異常により診断することができ、一般に一分間に一〇〇以下の徐脈が九〇秒以上続くと胎児仮死の所見であるとされる。また、特に陣痛による子宮収縮に遅れて徐脈が出現するものを遅発一過性徐脈といい、これはたとえ軽度のものであっても胎児が重度の酸素不足状態に陥っていることを意味する。これらの胎児心拍数の変化を常時監視するために開発された装置が分娩監視装置であり、これによれば、母体に付着させたトランスデューサーにより胎児心拍数と陣痛曲線を連続的に観察することによって基線細変動の消失や遅発一過性徐脈の出現も容易に診断することができ、昭和五七年ころには大規模医療施設にはほぼ普及していた。
(二) 脳性麻痺とは、発育の過程に生じた非可逆的脳障害の結果非進行性で反永久的な運動障害をきたしたものをいう。その原因としては、胎児仮死、新生児仮死等の周生期の原因、子宮内感染等の妊娠中の原因、胎児の先天的な欠陥等の遺伝的原因、脳炎、外傷等の出生後の原因がある。胎児仮死あるいは新生児仮死が必ず脳性麻痺をきたすものではないが、その中でも重度の低酸素性虚血性脳症の症状が著明に顕れたものは脳性麻痺の原因となりうる。
二以上の事実を前提に、以下検討する。
1 原告真佑の脳性麻痺の原因について
(一) 前記認定のとおり、原告真佑が低酸素性虚血性脳症の症状を呈する新生児仮死を伴って出生したことは、証拠上明らかである(なお、出生当日午前八時に行われた血液ガス分析検査の結果では、ph値が正常値を示しているが、これは蘇生術が開始されてから約四時間を経過した後に行われた検査であるから、右結論を何ら左右するものではない。)。そして、その症状は低酸素性虚血性脳症のⅡ度とⅢ度の中間に該当する相当重篤なものであること(鑑定)、原告真佑が渡米するに際し被告医療センター医師が作成した書面には、原告真佑が低酸素性虚血性脳症に引き続き生じた脳性麻痺である旨明記されていること(<書証番号略>)、出生時の低酸素性虚血性脳症以外に脳性麻痺の原因となり得る先天的あるいは後天的要因の存在を窺わせる証拠がないこと(なお、鑑定の結果によれば、原告真佑が不当軽量児であった可能性が認められるが、その程度は極めて軽微なものであり、これが脳性麻痺の原因になりうる先天的要因であるとは考えられない。)に鑑みると、原告真佑の脳性麻痺は低酸素性虚血性脳症を原因として生じたものであると認めるのが合理的である(なお、証拠(<書証番号略>)によると、脳性麻痺の原因は必ずしも周生期の低酸素症に限るものではなく、むしろそれ以外の先天的要因あるいは妊娠初期の要因による場合が多いとの研究結果が存在することが認められるが、それらによっても、周生期の低酸素症による脳性麻痺が否定されているわけではない。)。
(二) 一方、本件のような重篤な低酸素性虚血性脳症が出生時に瞬間的に生じたとは考えにくく(<書証番号略>、証人中嶋、同島田)、胎盤への凝血の付着、血性羊水といった常位胎盤早期剥離の所見が存在すること、原告真佑の入院カルテには、胎児仮死(一五分)との記載があること(<書証番号略>、これによれば、被告医療センターにおいても、胎児仮死が存在した旨の診断を下していたものと認められる。)、原告真佑に先天的な疾患は認められないこと(証人島田)等に鑑みると、本件においては胎児仮死が存在したと推認される。そして、その原因は、前記のとおり常位胎盤早期剥離の所見が認められ、カルテにおいても胎盤早期剥離に基づく胎児仮死との診断がなされていることに鑑みると、分娩中に発生した常位胎盤早期剥離であると推認するのが相当である。
これに対し、被告は、本件分娩記録(<書証番号略>)上胎児仮死が存在した証拠は全くないと主張するけれども、本件分娩記録によると、午前三時二六分に胎児仮死の兆候とされている一分間一〇〇以下の高度徐脈が発生し、その後も軽度の徐脈が三度にわたり生じていることが認められるところ、前記のとおり軽度の徐脈であってもそれが遅発一過性徐脈であれば胎児仮死を示す兆候となること、胎盤の早期剥離の所見が存在すること等を考慮すれば、被告の右主張は採用できない。
(三) 以上のとおり、原告真佑の脳性麻痺の原因は、分娩中の低酸素症(胎児仮死及び新生児仮死)に基づく低酸素性虚血性脳症であると認められる。
2 被告側の過失及び結果との因果関係について
(一) 前記認定(一2)に照らせば、分娩を介助する医師及び助産婦は、胎児心拍数を常時観察し、胎児心拍数に異常が表れた場合には、その程度に応じて低酸素症を改善するための措置、すなわち、母体への酸素吸入、母体の体位変換、子宮収縮剤の投与中止、子宮収縮抑制剤の投与等の措置をとるとともに、その後も分娩監視装置によって胎児心拍に異常がないかどうか、特に遅発一過性徐脈や基線細変動の消滅等重篤な胎児仮死の兆候が現れないかどうかを注意深く観察し、低酸素症の改善が見られない場合には急速遂娩の措置をとるなどして一刻も早く胎児を娩出させる努力をするほか、出生後直ちに蘇生術が開始できるように準備を整えるべき義務を有するというべきである。
(二) これを本件についてみるに、まず、午前三時二六分に生じた徐脈に際しては、三リットルの酸素吸入が施されており、一度徐脈を生じたからといって直ちに急速遂娩の措置を取るべきであるとはいえないから、この措置は適切なものであったと認められる。また、午前三時三五分、四〇分、四四分に軽度の徐脈が出現した際には、同三時四五分に人工破膜が行われた以外に特に処置はなされていないが、右各徐脈はいずれも一分間一〇八の軽度の徐脈であり、しかもいずれも程なく回復していることから、人工破膜以上の処置を取るべきであったとは直ちにはいえない。しかしながら、一旦右のような高度徐脈が出現した以上、担当医師及び立会助産婦には、その後は耳による胎児心音の確認のみではなく、分娩監視装置によって胎児心拍の状況及び陣痛曲線との関係を注意深く観察すべき義務があったというべきところ、前記認定の事実及び証拠(<書証番号略>、証人仲尾)によれば、仲尾助産婦が原告眞希子の分娩の介助を開始した際(その時間については、右各証拠を総合すると、排臨となった午前三時四八分の直後であったと認めるのが合理的である。)、それまで立ち会っていた斎藤助産婦からは、一度徐脈が生じたが酸素吸入により回復したことを告げられただけで、特に注意を必要とする旨の説明を受けなかったことや、その後斎藤助産婦が他の分娩室に行き、原告眞希子の分娩については仲尾助産婦が単独で介助することになったことから、分娩監視装置に特段注意を向けることも、また、これを観察する余裕もなく、耳で胎児心音を聞いていたのみであったこと、分娩担当医であった加口医師は、隣室の異常分娩に立ち会っており、原告眞希子の分娩には、一度様子を見に来たものの立ち会えなかったこと、仲尾助産婦は当時もう一人いた当直医を呼ぶこともしなかったこと、以上の事実が認められ、これらの事実によれば、少なくとも仲尾助産婦が分娩介助を始めて以降、同助産婦が分娩監視装置を注意深く観察していたとは到底認められない。したがって、仲尾助産婦には、分娩監視装置の適切な観察を怠った過失があるといわざるを得ない。そして、前記のとおり、本件は分娩中に発生した常位胎盤早期剥離によって胎児仮死となっていたと推認されるのであるから、仲尾助産婦が分娩監視装置の適切な観察を行っていれば胎児仮死又は新生児仮死を予見ないし発見することができたと認めるのが相当である。
確かに、<書証番号略>によれば、午前三時四八分と五三分に聴取された胎児心音は正常であったとの記載があり、また、証人仲尾は分娩直前まで胎児心音は正常であった旨の証言をしている。しかしながら、午前三時四八分と同五三分に心拍数が正常値を示していたからといって、その間又はその前後も正常であったとは直ちにいえないことは当然であり、また、胎児心音が正常に聞こえていても分娩監視装置の記録上異常が現れる場合があり得る(証人島田の証言)から、右各事情によって直ちに分娩監視装置の記録上も異常がなかったとはいえない。
なお、本件においては、午前二時四〇分以降原告真佑の娩出までの間の分娩監視装置の記録(以下「本件分娩監視記録」という。)が提出されていないので、分娩監視記録によって直接この点を確認することはできない(被告は、既に廃棄済みである旨主張する。)。そして、証人仲尾は、分娩終了後に本件分娩監視記録を見たところ、胎児心拍数が上下に振れた点状に記録され、陣痛曲線は基線が上下して直線的に記録されていて記録がうまくとれていないものと判断した旨及び原告眞希子の分娩に立ち会っている間分娩監視装置に異常を感じたことはなく、分娩監視装置の心拍同期音(<書証番号略>によれば、これは分娩監視装置のトランスデューサーによってモニターされたものを増幅して人間の耳に聞こえるようにしたものであることが認められる。)は、分娩直前まで正常に聞こえていた旨証言する。しかし、<書証番号略>及び証人島田によれば、胎児心拍数が上下に振れた点状に記載されるのは、重度の胎児仮死が存在し、心拍数の変化が極めて大きい場合にも生じうるものであること、また、分娩監視装置は単純に心拍数の変化を連続的に監視するというだけでなく、陣痛(子宮収縮)との関係や基線細変動の有無等をも監視するものであることが認められるのであって、これらを考慮すれば、証人仲尾の証言をもって前記判断を覆すことはできない。
(三) 次に、被告は、たとえ仲尾助産婦が胎児仮死又は新生児仮死の存在を予見していたとしても、原告真佑の脳性麻痺は防止できなかったと主張するので検討する。
証拠(<書証番号略>、鑑定、証人島田)によれば、分娩中に胎児仮死の存在が予想される場合には、母体の体位変換、酸素吸入、子宮の収縮を抑制する措置等により、低酸素症の進行を止めることが可能であること、これらの方法によっても低酸素症の改善が見られない場合には、帝王切開、吸引分娩、鉗子分娩等の急速遂娩の措置によって胎児を早く娩出させて蘇生させることにより、重篤な後遺症を残すような低酸素性虚血性脳症の発生を防止することができること、特に出生後五分以内に蘇生させれば予後が良いとされていることが認められる。また、前記認定の本件分娩経過のとおり、本件では午前四時に原告真佑が出生したにもかかわらず、未熟児集中治療室への入院が午前四時六分、気管内挿管による蘇生が開始されたのが出生後一〇分を経過した午前四時一〇分であったことが認められる(なお、証人仲尾は、原告真佑を未熟児集中治療室に運んだのは分娩直後であって、入院が午前四時六分ということはあり得ないとの趣旨の証言をするが、仲尾助産婦は生後一分のアブガールスコアを測定し、胎盤の娩出を確認した後に原告真佑を未熟児集中治療室に運んでいること、右入院が事前に予測されていたものではなく、また、その時間帯からすると、同室での蘇生の準備にもそれなりの時間を要したものと認められることに鑑みると、入院が午前四時六分、挿管の開始が午前四時一〇分という診療録の記載は、証人仲尾の証言を前提としても必ずしも不自然とはいえない。)。
これらの事実を総合すると、本件において、仲尾助産婦が胎児仮死又は新生児仮死の存在を予見していれば、当時すでに排臨となっていたのであるから、吸引分娩、鉗子分娩等の急速遂娩の措置をとることは比較的容易であったものと認められ、あるいは仮にそれが不可能であったとしても、未熟児集中治療室と事前に連絡をとるなどして、分娩前に蘇生の準備を整え、出生後速やかに蘇生術を施すことによって、本件のような重篤な低酸素性虚血性脳症の発症を防止し得た蓋然性はかなり高かったということができる。したがって、仲尾助産婦の過失と原告真佑の脳性麻痺との間には因果関係があるというべきである。
3 以上によれば、分娩監視装置による適切な胎児心拍数の観察を怠った仲尾助産婦の過失により、原告らは後記損害を被ったというべきであるところ、仲尾助産婦が被告の雇用する助産婦であることは当事者間に争いがなく、仲尾助産婦の右行為が被告の業務の執行に際してなされたものであることは本件証拠により明らかであるから、被告は民法七一五条に基づき原告らが被った後記損害を賠償する義務がある。
三損害
1 原告真佑の損害
(一) 逸失利益
証拠(<書証番号略>、原告隆介本人)及び弁論の全趣旨によれば、原告真佑は本件脳性麻痺により労働能力を一〇〇パーセント喪失し、回復の見通しはないことが認められるから、就労可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間とし、昭和五九年賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計男子労働者の年間平均給与額(四〇七万六八〇〇円)を基準にしてライプニッツ方式により逸失利益を計算すると、次のとおり三〇七七万七八〇一円となる。
(計算式)
4076800×7.5495=30777801
(二) 介護料
原告隆介本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告真佑は本件脳性麻痺のため一生涯常時介護を要する状況にあることが認められるが、常時入院が必要であることを認めることはできないので、一日当たりの介護料は二〇〇〇円が相当である。そして、昭和五七年度簡易生命表によれば昭和五七年における原告真佑の平均余命は七四歳と推定されるので、七四年間の介護料の原価をライプニッツ方式により計算すると、次のとおり一四二〇万五二一六円となる。
(計算式)
2000×365×19.4592=14205216
(三) 慰謝料
前記認定のとり、原告真佑は重度運動神経機能発育遅延、不随意運動性脳性小児麻痺及び痙攣症により、一生涯にわたり運動能力、言語能力を奪われたのであって、その精神的苦痛は死に比肩すべきものであるといえ、その慰謝料の額は、一五〇〇万円が相当である。
2 原告隆介及び同眞希子の損害(慰謝料)
原告隆介及び原告眞希子は、最愛のわが子の原告真佑が重篤な後遺症をもって出生し、一生脳性小児麻痺の重度の障害を背負って生きていかなければならないこととなったことから、その受けた精神的苦痛は極めて大きかったと認められる。したがって、その慰謝料の額は、それぞれ三〇〇万円が相当である。
四結論
以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、被告に対し、原告真佑については五九九八万三〇一七円、原告隆介及び同眞希子についてはそれぞれ三〇〇万円、及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六二年二月二五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官赤塚信雄 裁判官綿引穣 裁判官谷口安史)